果があるからでし
2017年10月11日
・・・・・・・っということで、最近出くわした言葉に【宗教は貧者の阿片】があります。
多少宗教に興味を持つ者にとって、「おっ!上手いことを言うな」と我が意を得たりってな気持ちになりました。
これと似た言葉に、【宗教は阿片】がありますが、これはマルクスの言葉らしいです。
マルクスが最初で、誰かが【貧者】という言葉を付け加えたのかもしれませんね。
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キリスト教は大きく分けてカソリックとプロテスタントに分かれていますよね。
世界単位で見れば、カソリックのほうがはるかに多いとどこかで書いたような気がします。
(自分で書いたことを片っ端から忘れてしまう。)
カソリックは貧乏人、プロテスタントはお金持ちという陰口がたたかれています。
あまり感心した分類ではありませんが、まあ、陰口ってそんなものですから目くじらを立てるほどでもないでしょう。
島原や長崎の外海(そとめ)地域でカソリックが広まったのはある意味その条件が整っていたからでしょう。
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ぼくは宗教というものは、【精神の救済】でなきゃならないと考えています。
ある宗教家にそれを言ったら「そんなに単純なものじゃない」と反論されましたが。(^^ゞ
現世は苦渋に満ちています。
悠々自適に生活できるなんてぇのはほんの一握りの人たちで、大多数の人は苦しい人生を送っているものです。
いくらがんばっても、いくら耐えても貧困のうちに人生を終える人がほとんどです。
宣教師から、「現世は苦しいけれど死後は極楽に行けるよ」と耳元でささやかれると、天国を信じたくなりますよね。
苦しければ苦しいほど、貧しければ貧しいほどそういう言葉に飛びつくのが人間というものでしょう。
宗教は麻薬だというのはそういう心を癒す効果があるからでしょう。
これをもって精神の救済というのは正しい認識だと思うんですがね。
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しかし、麻薬と同じように宗教には弊害が伴っていることも真実でしょう。
秀吉や家康がキリスト教を危険視したのは、政治的弊害でしょう。
中国共産党がキリスト教を恐れるのも同じ理由です。
そういう政治的弊害以外に副作用はたくさんあります。
いわゆる「狂信」です。
宗教を悪用して戦争に駆り立てる例は、キリスト教もイスラム教も同じです。
そこまで行かなくても、ぼくら無宗教の人間から見れば、信者の言動ってちょっと変に見えますよね。
いわゆる宗教依存症ですね。
何でもかんでも神に結び付けてしまう。
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宗教は精神を救済する効果がありますが、副作用があることを知らなければなりません。
「使用上の注意をよく読み、用法・用量を守って正しくお使い下さい。」という注意書きが必要ですね。
Posted by aldrichchan at 11:35│Comments(0)
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